長く生きていれば、「身に過ぎた幸せ」を感じることがあるかも知れません。
これは目上からの褒美に感謝を伝える時にも使われますが、あることわざに関わっているので、気をつけて使いたい表現です。
身に過ぎた幸せの注意点など含めてご紹介します。
「身に過ぎた幸せ」とは?
自分の身分には不釣り合いであると感じるほどに、幸せな気持ちであることを相手に伝える表現です。
「身に過ぎた幸せ」のビジネスメールや会話での使い方や使われ方、使うときの注意点
成果を上げたことにより、目上の人から褒められる機会は稀にあることです。
また日常の生活でこれ以上ない幸せを感じて、それを表現する機会もあります。
そのような時に「身に過ぎた幸せ」を使うことができるでしょう。
滅多に使われない表現ですがもし用いる場合は、どうして身に過ぎた幸せに思うのか、その理由を併せることができます。
フォーマルな機会で目上に褒められた場合には、これに併せて感謝の言葉を述べるのも良いです。
そして「に存じます」など、丁重な表現と組み合わせることができます。
気をつけたいのは「身に過ぎた果報は災いの基」ということわざがあることです。
これは身に過ぎた幸せはかえって不幸を招くので、分相応な幸せが良いという意味です。
もし気になるなら、他の言葉に言い替えてみてください。
「身に過ぎた幸せ」を使った例文
・『このような報奨をいただけるとは、身に過ぎた幸せに存じます』
・『私にとっては身に過ぎた幸せなのではないかと思い、少し心配になった』
「身に過ぎた幸せ」の類語や言い替え
「身に余る幸せ」は、自分の身分には不相応なほどに、幸福を感じ取ったことを伝える表現です。
「身に余る光栄」は、自分に不釣り合いなほどに名誉であることを表すもので、公式的な場面で使われます。
「この上ない幸せ」は、これ以上にはないほど幸福であることです。
「最高に幸せ」は、自分にとってもっとも幸福な状態を表します。
「幸甚に存じます」の場合は、非常に幸せに思っていることを、敬意を込めて伝える表現です。
まとめ
自分には不釣り合いと感じるほど幸せだと伝えられるのが、「身に過ぎた幸せ」という表現なのでした。
これはフォーマルな場面で目上に感謝する時は勿論、日常生活でも用いることができます。
しかし過剰な幸福には用心すべきとのことわざにも関わるので、別の表現に言い替えることも考えてみましょう。